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がんの現場から
久野クリニック院長 久野則一

親父ががんになったとき
清水 和彦
がん.ふぉーらむ
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ガンフォーラム連載コラム

「親父ががんになったとき」

著者 清水 和彦さん
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第一回目

「お父さんが肝臓癌と診断されたの。」

母の電話からすべてが始まりました。親父が肝臓癌であることが発覚したのは、わたしが23歳の時。あれからもう6年が過ぎようとしています。

突然の知らせを聞いて、わたしは途方に暮れてしまいました。

「どうしたらいいんだろう?」
答えはなかなか得られません。書店に行っても、ピンと来る本は見つかりませんでした。


■手紙を書く
「親父に手紙を書こう。」
そう心に決めてからは、数日に一回のペースで午前中に万年筆を走らせるようになりました。手紙を書くことにした理由は、一人暮らしをしていて親父が入院した病院と離れていたため、見舞いに行けない代わりに手紙を読んでもらうことで少しでも何かの役に立ちたかったからです。家族のこと、病気になって気づいたこと、感謝の気持ち・・・手紙には日々感じたことが綴られていきました。


■生きること、死ぬこと
親父への励ましの手紙を書く一方で、生きることや死ぬことに対する疑問が次々に湧いてきます。特に、「死」に対する不安は日に日に大きくなるばかりでした。「父親が癌になったのに、死について考えるなんて不謹慎だ。」と考える人もいることでしょう。でも、癌と対峙する生活の中で、生きることにだけ執着するのはおかしい、といつも感じていました。

癌であることを知らされた時や癌の末期で生きる望みがだんだん消えていくような状況では、癌になった本人だけでなく、まわりの家族も「死」について考えずにはいられません。残念ながら、わたしは生に執着して死を無視するほどこころが強くなかったのです。死については手紙に書けなかったので、日記に思いをぶつけていました。親父が亡くなってからは、むしろ積極的に「死」について知ろうとしたほどです。今後のコラムでもこのことについて触れるつもりです。


■手紙が自分の運命を切り開いていく

「手紙を読んで涙が流れました。」
ホームページに掲載された手紙を読んだ方から、切々と心情を綴ったメールをいただくことがあります。

「手紙は後々まで残るから書きたくない」というのが、わたしの妹の意見です。しかし、わたしのホームページは手紙が残ったからこそ生まれました。親父に宛てた手紙は、親父と一緒に灰となる運命でした。ところが、棺桶にフタをかぶせる直前になって親父の横に添えられていた手紙の束をわたしが見つけ、「これは残しておきたい。」とそこから取り出したのです。

それ以降、手紙がきっかけとなって闘病の様子をまとめた番組を制作していただいたり、手紙と日記をまとめたホームページを制作したり・・・と、いろいろなことが起こりました。

偶然生き残った手紙がわたしの手を離れ、手紙自身で運命を切り開きながら多くの方に癌や人生について考えるきっかけを与えているような気がします。


■ガンと暗く生きる
手紙と日記を中心に親父の闘病記を作ったものの、「果たして公開していいのだろうか?」という迷いがなかなか消えませんでした。ガンフォーラムで紹介されている「がんを明るく生きる」の伊藤勇さんのページへリンクしたかったので、許可をいただけるようページのアドレスを添えてメールを送ったところ、「同じ病いに苦しむ患者さんや家族の為にも大いに参考になり、勇気づけられると思います。」と返事をいただきました。伊藤さんの温かい励ましに感激したことから、その言葉に後押しされる形でページの公開に踏み切ったのです。

末期癌でも明るく前向きな伊藤さんとは逆に、わたしのページは「がんと暗く生きる」というタイトルがふさわしい仕上がりになってしまいました。中島みゆきの曲をポロポロつま弾くのが好きな性格で、しかも手紙を書いていた当時はうつの病み上がりだったことから、暗い内容でも仕方がない、とあきらめています。

これから連載するコラムでは、親父の癌に直面して落ち込まざるを得ない状況でも、意志を持って前向きに生きることで悲しみを乗り越えた経験をお伝えしたいと思います。よろしくお願いします。

平成14年7月22日 清水 和彦
「親父ががんになったとき」


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