私のがん逃病記 (前編)

「直腸全摘」
荒井良庸

はじめに
 記憶が薄れないうちに、がん闘病記(私の場合は逃病記)を書いて、ネットに乗せようと思ったけど、カルテを閲覧しないと、手術から退院までの経過が正確には判らないので、躊躇しているが、今、がんと闘っている本人や家族の方に、少しでも参考になればと思い、出来る限り当時を正確に思い起こし、体験談を載せたいと思います。(特に直腸の全摘手術をされた方や、余儀なくされようとしている方の為に。) 主題に逃病記としましたが、オヤジのくさいダジャレでなく、まじめな話、私の場合は当時を思い起こすと、まさに逃病記でした。闘っていると言うより、病気からなんとか逃げ出したいという気持ちが強かったのが事実です。強固な意志の持ち主ならともかく、大抵みんなシュンとしてして元気がありません。だから家族の力が必要なんです。

予兆、宣告
 直腸がんの多くの人は大抵痔を持っていて、はじめはみんな痔だろうと楽観していたのが、次第に便が細くなりだし、排便が困難になってきて、癌ではないかと思うようになります。誰でも最悪な状況を考えたくないものですから、多少気がつくのが遅れるのも仕方がありません。だから、もし進行がんの方で、もっと早く気が付けば良かったのにと思っているならば、あまり自分を責めたりせず、家族の方もこの事にこだわるべきではないと思います。なっちゃたものはしょうがない位に考えた方がいいでしょう。私事になりますが、がんを宣告された午後、友人と三人でパチンコやに行き、とうとう俺は改造人間になっちゃうよ。と自嘲の気持ちもありましたが、笑ったものです。(内心はうちひしがれていましたがーーー)
 当時(今から6年半前春先の事)回りの人に、痔がひどくなったから、診てもらうからと、ある病院に行き、大腸造影検査を受け、何故こんなに悪くなるまでほっぽといた。と主治医に言われました。が、正直なところ、自分では3ヶ月ほど前に、前記のような異変に気が付いていて、がんと宣告されるのが怖かったのもありますが、生活の為に行きそびれたこともあります。お金に余裕がある人ならともかく、貧乏人には働くしかなかったのです。その頃、私は妻と別居していて、学校に通っている娘二人に仕送りしなければなりませんでした。それと(当時)75になる母が一緒に生活していましたが、出て行った妻と子供もいなく、自分がなかば人生を投げ出していたのも事実です。

入院 
 そんな訳で進行がんもかなりな状態になって入院したものだから、入院してすぐ絶食になり、(何故すぐに絶食かと言うと、がんが大きくなった為、うんこがでなくなると大変だからです。)同時に抗がん剤の投与と放射線治療の開始、私の場合は抗がん剤の副作用はあまりなく、むしろ下腹部に照射する電子線照射の影響で、陰部の毛が抜け落ち、陰嚢の袋の皮がむけて、ただれてしまったのがきつかったです。それと、食欲はあるのに食べられないことも大変だった。夕食の時間になると退室して我慢していました。でも、それも慣れればどうということはないから不思議です。私の隣の人は大腸がんの手術を受けて、その後腸閉塞で2度開腹したが、腸が癒着してしまい、なにも食べられない生活を送らなければなりません。点滴栄養での生活を一生余儀なくされている方は、大変だと思います。その男性いわく、性欲は年とともになくなるが、食欲は死ぬまでなくならないから、辛いと言っていました。私も入院から4ヶ月ほど絶食状態でしたので、その寂しさがわかります。(私は術後の経過がおもわしくなかったので、その間、食べられませんでした。)いまでもその人の言葉が忘れられません。

手術
 放射線治療の成果があまりあがらず、直腸の全摘手術となる。自分では人工肛門になると覚悟していたから、諦めていたが、拒否をしていたら、おそらく今頃転移していて、違う結果になっていたと思います。放射線の術前照射は術後の予後が良いといわれていて、いま考えると、最善の結果だったのでしょう。いまは肛門を温存する手術が取り入れられていますが、全部のケースに適合するまでには至っていないようです。
 放射線治療は辛かったが、その間、CT検査を始め、シンチグラムやらMRI検査やら胃カメラやらがんの転移を探り出す、全ての検査を行い、次に手術のための準備検査で、自分ががんであると感傷する暇もなく、あっという間に2ヶ月が過ぎてしまいました。
 手術の当日には、わずかに期待していた子供と妻は来ず、母と弟が付き添う。お昼前に入室して、手術が終了したのが6時頃になったのを記憶している。みんなの顔が薄ぼんやりと浮かんでいる。麻酔が覚めると、それからは痛みとの戦い。おそらく大手術を受けた方なら、ICUにいた時が、いちばん辛く苦しいときと述懐せずにいられません。ここを如何に乗り切れるかで、その後の状況も変わってくるし、術後の最大の関門です。

術後経過
 私が、直腸がんの全摘手術を受けたのは、今から6年前の51才の夏の暑い盛りの7月1日で、退院はそれから4ヶ月後の11月の末です。手術から退院まで、普通は二ヶ月位で順調なら退院出来るのだが、私の場合は、手術は無事終了したものの、術後の経過が思わしくなく、思い出せるものでも、術後腸閉塞2回、術後の障害とは考えられない気胸(IVHカテーテルが外れて、再度入れるも、上手くいかず、針の先で肺に穴を開けれて気胸になった。)    注:IVHカテーテルとは点滴をいれるのに鎖骨下静脈の血管に穿刺して、血管を確保するときの管。よく患者さんが点滴を肩から下げているその部分で、腕の血管よりも高たんぱく摂取が可能。
 それを技術の未熟な経験の少ない若い医者が行なったためと考えられる。主治医は経験を積ませる為に指示したのだろう。だが、消毒不十分からか感染症を引き起こす。40度以上の高熱が3日続き、敗血症で生死をさまよう。その後も微熱がつづき、原因が判らずじまいで、抗生物質の投与も効果がないまま3週間ほど経過し、太ももが脹れてきて、主治医は慌てて泌尿器科に回す。(この間、尿検、血液検査、ct等行うが、すべての検査で異常が認められないと言われる。
 微熱が続いた原因は術後間もなく敗血症で高熱が続いた為に、尿管がつぶれた為と言われた。私はいまだに尿管狭窄は術中か、術後すぐに起こったとおもっているが、どうであれ微熱の原因が、尿管狭窄が起因していると何故早く考えられなかったのか?
 医者はあらいるケースがあるということを勉強しなければいけない。腎臓が悪くならないうちに発見されたが、それにしても随分時間がかかったことか。そして、左右の尿管の狭窄部分が5,6cmあり、今も尿管カテーテルを3月に一度交換している状況です。(手術できればカテーテルを入れないで済むのだが、もう手術は無理な体であるため。)

医療とは
 自分に精神的かつ経済的に余裕があれば医療訴訟を起こしてもおかしくないケースだと今でも思っていますが、誠意のある主治医の先生と優しく看護してもらった看護師さんのことを考えるとそこまでは至らなかった。というよりも退院後の生活の確保でそれどころではなかったというところが本音です。
あと、MRSA(メチシリン耐性黄色ぶどう球菌感染症)にもなりましたが、入院して感じたことは、医者は他科と密接に連携した医療をせず、自分の科で抱え込んでいるという印象を受けたこと、インフォームドコンセントが奇麗事でまだある事。何故なら、病んでいる病人の気持ちの問題や、3分診療の現実をみれば理解出来るからです。それに、カルテの開示はして欲しい問題です。医療問題を論議したりするには別問題ですので、これくらいにします。余談ですが、かの小泉首相は郵政大臣の頃、インフォームドコンセントを電気かなにかのコンセントと勘違いしたそうです。医療問題が国民の多くの方に理解され、論議されるのには時間がかかりそうです。

入院生活で学んだこと
 自分はがんと闘っているんだと思うと、悲痛な気持ちになってしまうので、入院生活が長引いたら、何でも話せる看護婦さんと、あと同じような仲間を一人でいいからつくる事で、くよくよせずにいられずに済みます。幸い私には、気の合うIさんという人がいて、よく夜の病院の院内探検などと称して、霊安室をさがしに行ったり、シャバに出たらどうしようかなどど話したり、看護婦さんの品定めをしたものです。本当は可愛い若い看護婦さんのお尻をさわりたかったのに、残念です。入院している人で、もし私の記事を読んで下さる方は試してみてください。きっと許してくれますよ。

この項のおわりに
 何故私が今頃になって、ネットに載せようかと思ったかは、つい最近になってパソコンを始めたからと、私は闘病記を当時かく意志も気持ちもなかった。ともかく耐えること、嵐が過ぎるのをひたすら待っていました。 いま時々色々な方の闘病記を読んでいるとつい涙が出てしまいます。現実と向き合い、前向きに生きている闘病者の方々にエールを送り、一刻も早く良くなることを願っています。
 幸い私の場合は、4x6cmの全周性の進行がんにも関わらず、他臓器に転移していないことでした。進行がんと告知された患者にとって、重大な関心ごとは転移の問題であり、社会復帰してからは再発の問題と5年生存率の関心です。5年間は針のむしろに座っているようなものです。本当に私はそのむしろに座っていたように思います。今振り返るとーーー
最近、辛くても頑張らなきゃいかんのが人間なんだなと身にしみて感じています。特に愛する家族が側にいてくれる方は幸せと思ってください。希望を捨てず、頑張ることが大事です。愛してくれていると云う事が大切なんです。家族がいのちと同じ位に、大切なものだということをいい年をしながら学んだ次第です。今、一番感謝しているのは母親です。次項ではストーマについてと日常の生活について話したいと思います。