「乳がんがくれた宝物」

神奈川県在住 そのえさん
「こころの健康愛ランド」

はじめまして。私は38歳、だんな様と二人暮し、大好きな歌を教えながら 家事は手抜きの主婦。(笑)
左のおっぱいを切除して4年が過ぎ、現在 骨転移を抗がん剤と治験薬にて治療中。
毎週の点滴にうんざりしながらも「こころ元気に!」をモットーに踏ん張っている。
今、私のこころを元気にしてくれるのは、薬?・・・いえいえ、もっと大切な特効薬があるのだ。
4年の月日を経て、同じ苦しみや不安を分かち合おうとこころに寄り添い、歩み寄ってくれたかけがえのない仲間たち。くじけそうになると何本もの腕が私を支えてくれる。
私は乳がんになって 最初は「損をした」と思った。自分だけがどうして・・と 悔やんだ。
それがいつの日か・・・乳がんは私にたくさんの「宝物」を贈ってくれていた。
だから これからも私は 乳がんと共に「得をしながら」一生を過ごしていけると思えるのだ。

私の体験をかいつまんでお話します。最初は脇の下と胸ののしこりに気が付き、病院へ。
若いという固定観念で「たぶん 乳腺が他の人より 堅いだけ」と2週間の経過観察。
その後 別の医師の判断により 超音波検査、細胞診などの結果、34歳の春、告知を受ける。
病名は 乳頭状腺管がん。左胸の外側に、しこり3cm、 リンパ腺に8ヶ所転移あり。
しこりは内出血を押した時の様な にぶい痛みが。がんは痛くない・・・は誤った情報だった。

細胞診の結果がでるまでは 不安で何度も押しつぶされそうになる。恐くて仕方がなかったなぁ。
もし 私が “がん”で 手遅れだったら いつまで 生きていることができるんだろう。
私は 親や 主人より 先に 死んで行くのだろうかと とめどなく いろんな恐怖があらわれてきて暗い映画館で思いっきり泣いた・・・本気で5年後は私はこの世にいないのかもしれない・・・と。
今 思えば 検査結果を聞くまでの この頃が 一番 とりみだしていた時期かもしれない。

そして 両親への告知・・・これが辛かった。今でも母の日に電話をすると泣かれてしまう。
母の日の前日のとんでもないプレゼントが 娘の乳がん告知だったのですから。

告知後 入院日も手術日も決まった頃 私は遺書を書いた。手術中にもしかしたら・・・と涙を流しながら。その後 術前に遺書を書いたという方にたくさん出逢う。やはり恐いのは同じなんだ。

家族はどんな心境なのだろう。もしも逆の立場だったら・・と思うと病気になったのが自分でよかったと感じた。看護婦として働いている妹も 今では4人の母親である妹も 両親も・・・ 私のためにどんなに涙を流してくれただろう。主人はパソコンで乳がん体験者のHPをプリントしてどっさり病室に持ってきた。
無口な主人の精一杯の励ましに感謝した。私は 元気になって 恩返しをしなくちゃ ばちが当たる。(笑)

手術前日は複雑な心境だった。34年間 私の体の一部として 一緒に育ってきた 左のおっぱいをなんだかとても いとおしく思い、“がん”という 悪質なくせものに 大切なおっぱいを奪われてしまうくやしさで いっぱいで、布団をかぶって泣いたなぁ・・・。

胸筋温存乳房切断術で大胸筋だけ残す手術。術後はいろんなものが身体についていて 身動きがしにくかったけど、食欲もあり 痛みもそれほどなく 順調に回復。腕のしびれはしばらくあったが、何かをするのに支障があるほどではなく、リハビリに励んだ。
その後 ホルモン療法では更年期の症状の頭痛やほてりがあり 体重はかなり増える。
放射線治療は5週間の予定が、皮膚に炎症がおきて 2週間の中断。ほてり、かゆみ 水泡、倦怠感があったが 毎日 外に出るのが楽しみだったので 苦痛は感じなかった。
入院のまま、抗がん剤治療(CAF)をまず3クール(点滴6回)その後 間隔をあけて 3クールずつ、計9クール(点滴18回)受け、副作用の吐気、脱毛、白血球減少と、かなりダメージを受ける。
点滴台や赤い薬の色を思い出すだけで、いまだに 嫌悪感。でも 自分なりによく踏ん張った。
これは 私の経験として 財産でもあると思っている。

それから しばらくして 腫瘍マーカーが上昇し始め、骨シンチ検査の結果、骨に転移。術後2年だった。
同じころ 腕が重たくなりむくみが出て、リンパ浮腫の症状も出始め悩む。いろいろな講習に参加したり、専門の治療院でマッサージを教えていただいたり、気の抜けない時期に、また 大きな壁にぶつかったようで、目の前の壁をどうやって崩そうか、また よじ登ろうか?毎日 こころが悲鳴をあげてもがいていた。
その頃 私はパソコンに夢中になる。夢中というより 何かしていないと取り残されてしまいそうで恐かったのかもしれない。ネットでの情報交換が私の支え。毎日 顔の見えない相手とのやり取りを楽しみ、癒され・・・立ちはだかった壁を許せるようになってきた。その壁はまだまだ厚い。そしてよじ登ってもまた次の壁が待っていることだろう。崩そうとしても よじ登ろうとしてもそれはきっと悪あがきになるような気がした。
そして この仲間達が よじ登ろうとしていた壁の存在を別のものにしてくれた。
それを 打ち崩そうとするのではなく・・・ぺイントして鑑賞して一緒に笑っている。
邪魔者さえも 癒しの道具にしてしまうくらいの(笑)不思議な存在なのである。
そうしているうちに その壁を 支えにして よりかかって 寝てしまう?
そのくらいの 安心感が ここにある。仲間達はそんな大切な存在なのだ。

だからこそ 私は この仲間達を悲しませたくない。一緒にもっともっとたくさんの経験をして自分の「生きるぞ!」というこころの元気を蓄えて 私の底力を見てもらいたいと思う。

時にはくやしくて泣く、時には不安で愚痴る・・それでも 前を向いて不安をも 小脇に抱えて一歩ずつ前に進もう・・・。そう思えるのは 仲間達や家族の存在があるからなのである。

乳がんになってから 考えることがある。
今・・・今、現在 私が出来ることは何だろう???
ひととおりの治療を受け、精神的苦痛も存分に味わい、今は「再発」というリスクを背負いながら、いったい何ができるんだろう??

やっとわかってきた。
とにかく この世の中で一握りの人間しか経験できない貴重な体験をした私。
そうだ。伝えなきゃ!!そして同じ病気で苦しんでいる人達に「こころの元気」を分けてあげよう!
きっと そうすることによって 私も「元気」になれると思う。

せっかく21世紀まで 生きてきたんだ。
ふんばって、ふんばって、もっともっとふんばって・・・
自分にプラスになることを 一生懸命やっていこうじゃないの!!
現在、骨転移の圧迫骨折により 無理がきかない身体ではあるけれど 歩けるうちは歩こう!
治療は終わりが見えないけど 行けるところまで 行こうじゃないの!!

8月31日 乳がん体験者5人だけで主催することになったガイアシンフォニー第三番の自主上映会。
当日はみんなで 笑い合えると信じている・・・そして、未来を願って乾杯しよう!!
そこから また 次のステップに踏み出せる。その都度「今の自分にできること」をやっていこう!
 
ネットで出逢った大切な仲間、私の宝物は それぞれが愛らしく、それぞれがけなげに、それぞれが自分の色で輝いている。きっとこれからも ずっと 私の宝物として それぞれがそれぞれの色で輝き 私のこころを癒してくれるのだと 確信している。みんな、ほんとうにありがとう!!
頑張りすぎず、踏ん張って、いつまでも キラキラとそれなりに(笑)輝いていようよね・・・☆