乳がん日記

きょうべさん
今、ここにいる!
2001年7月10日(火) 乳がん告知
朝から気分が重い・・・。(-_-;)
予約時間を過ぎてもなかなか呼ばれない。今日も賑わう外科外来。
ようやく中へ呼ばれて座る。
 Dr 「この前の検査の結果なんだけどね、良くなかったんだわ。」
 私 「えっ?!悪性って事ですか???」
 Dr 「うん。乳がん」
 私 「・・・・・・・・・。」
『あれれ??がん告知ってこんなにあっさりと本人に言うモノなの?想像してたのとちょっと違うんだけど・・・?』ショックを受けながらもこんな事を考えている私がいた。
もう一度触診でしこりの大きさを測ってもらい、リンパ節の触診も受ける。涙がこぼれる。
その後、色々話をされたが、専門的な事はよくわからないし、とにかく私が理解できたのは、この私の胸にあるしこりが細胞検査の結果クラスXでまずがんに間違いがないと言う事。当然、入院、手術が必要な事。これから手術の為の検査と、肺、肝臓、骨への転移を調べる為の検査を受ける事。そして家族に連絡を取って夕方4時にもう一度病院へ来る事。
看護婦さんに「胸部レントゲン、採血、採尿、心電図、肺活量の検査を済ませて帰って下さい。」と言われた。
本当は入院についての説明もするつもりだったようだけど、私があまりにもボーっとしているので「今お話して頭に入りますか?お家の方がみえた時、一緒に聞いていただきましょうか?」と言われて、たぶん私は無言でうなずいたと思う。
その後、採血の所でもやっぱりボーっとしているので「大丈夫ですか?ちょっとたくさん採りましたからね。気分が悪かったら座って休んで行って下さいね。」と言われた。
みんな優しいな・・・。(ToT)
一通りの言われた検査を終えて、一旦帰宅する。
連絡をしてあった主人の方が先に帰って来ていた。主人の顔を見たらまた涙が溢れて止まらなかった。「こんな事で、ごめん。」と謝った。
お昼は過ぎていたけれど、当然食欲などなくこの日の昼食は食べなかった。正確には食べられなかった。主人は早速インターネットで乳がんについて調べていた。
幼稚園と小学校から帰宅した子供達を主人の実家に預け、主人と二人で再び病院へ向かう。
先に看護婦さんから、入院、手術についての説明を受けていると服部先生がみえた。話の内容は午前中に私が聞いた説明プラス手術方法などだった。
乳房全摘にするか温存にするのか。その方法とリスクについて、丁寧に絵を描いて説明してくれた。その後の治療法。そして、手術の時期と入院期間について。
最後に「しこりの大きさが2cm弱でリンパ節も触ってみたけど腫れはないから早期だと思います。
治ると思いますよ。」と言って頂いた。
先生のその言葉を信じたいけれど、なかなか前向きになれない自分がつくづくイヤだった。
眠れない夜だった。

2001年7月17日(火) 検査結果
がん告知から一週間。2kg痩せた。正しくは、妊娠出産前の体重に戻ったとも言う。ショックなのに、すごくショックを受けているのに、こんな事を喜ぶ余裕はまだ残っているようだ。
近所の奥さんにも「ちょっと痩せたんじゃない?何か飲んでるの?いいのがあったら教えてよ!」と言われた。「がん告知されれば痩せるよ!」と言う訳にもいかず、笑ってその場をやり過ごす。
10時半予約で病院へ行く。
先週受けた検査の結果を説明して頂いた。
肺レントゲン、異常なし。血液検査も異常なし。心電図、問題なしとの事。私が「あの・・・腫瘍マーカーは?」と尋ねると、先生に「あっ!よく知ってるね。」と言われ、それも正常値である事を教えてもらった。
でも、疑っている訳ではないけれど、素人の私には数字だけ言われても正常値がどれくらいなのかわからない。ひょっとしたら私には「異常なしです。」とか言っておいて、あとでこっそり家族には・・・なんてTVドラマのような話もアリかな?なんて考えていた。
ちらっとそんな話をしてみると、先生はカルテに貼り付けてある検査結果の用紙を私に見せながら、ひとつづつ私の数値と正常値の説明をしてくれた。
なんて親切なんだ!!でも、こういう患者がいるからどんどん外来診察の時間が延びちゃうんだな・・・とその時思った。反省・・・(-_-;)
その後、手術で乳房全摘にするか温存にするのかを聞かれた。
私は、正直まだ迷っていた。『全摘の方が後の放射線治療もないし、すっきりするかな?』と思ったり『でも、何にも無くなるのはやっぱりイヤかも・・・』と思ったり。それにまだ下の子は私のおっぱいが好きらしく、殆ど毎日のように触りにくる。
先生が「これはあくまでも僕の意見だけど・・・」と言って「しこりの大きさや形からいって、温存でも全然構わないと思うよ。」と。
う〜ん・・・・悩む。悩む。悩む。。。。。
手術の時までに決めれば良いとの事なので、もう少し考える事にする。
そして、この日手術日が27日(金)に決まった事を告げられた。
24日(火)に肝臓のCTとアイソトープで骨シンチの検査を終えたら、その翌々日26日(木)に入院だ。
明日は美容院へ行って髪を短くして来よう。

2001年7月20日(金) 乳房温存
終業式が終わり今日から夏休み。この日初めて子供達に私が入院する事を話した。
長男は「どこが悪いの?手術って言う事は切るの?」と不安そうな顔つきで色々質問してきた。
私は「ここに悪者がいるから入院して退治してくるの。」と説明した。
次男は分かっているんだか、いないんだか・・・?それよりも、おばあゃんの家に泊まれる事の方が楽しみのようだ。
それでも、今日もお風呂上がりの私のおっぱいを触っては幸せそうな次男。
『よし!ママは決めたぞ!おっぱい小僧の次男の為にもやっぱり今回は残す事にしよう!』と言う事で、乳房温存を選択した。
 そして、この子達の為にも『絶対ママは元気にならなきゃ!なるぞ!!』と思った。

2001年7月24日(火) 肝臓CTと骨シンチ
朝9時に予約のアイソトープ。この時間までに病院に来ようと思うと渋滞に巻き込まれるのでかなり早めに家を出る。それでも45分もかかり病院に着いたのは9時5分前だった。
アイソトープ検査(核医学検査)とは身体の中にガンマ線という放射線を放出するものを含んだ薬を注射してそれをカメラで撮り、肉眼では見えない身体の内部を調べてくれるらしい。私の場合はそれで骨への転移の有無を調べるのが目的。
その時の注射器ときたら、今までに見た事のあるプラスチックやガラスのものではなく、金属の注射器だった。不気味なヤツだ・・・。
それを注射されて、薬が全身に行き渡るまで3〜4時間かかるらしく、午後1時にトイレを済ませて戻ってくるように言われた。
11時予約の肝臓のCT。早めに行ったら「今、空いてますから10分ほど待って頂ければお呼びできますから。」と言われて待つ事にした。
この検査は楽チンだった。寝転んで「息を吸って。はい、止めて!」その繰り返しで少しづつ私の断面図を機械が撮影してくれているらしい。
1時前にアイソトープ室の待合へ戻る。30分ほど待って中へ呼ばれた。
これも私は服を着たまま寝転がっているだけで、痛みも苦痛もなく、撮影に30分近くかかって、眠ってしまう所だった。(^^ゞ
 さぁ、検査は全部終わった。あとは手術を待つのみだ。 

2001年7月26日(木) 入院
朝から慌しく朝食を済ませて、出かける準備をする。
ついでに、今度はいつお風呂に入れるかわからないからシャワーを浴びてシャンプーもする。
入院は10時になっていたが、その前に主人の実家へ寄って子供達とお引越しの荷物を置いていくので、8時半には家を出た。
主人の実家の目の前にある私の実家へも寄って「色々頼みます!」と挨拶をしてきた。
義父母、実父母4人に見送られて主人と二人で病院へ出発した。
 1階で入院手続きを済ませて外科病棟のある3階へ上がる。
ナースステーションに声をかけると、入院に関するアンケートをデールーム(患者さんが食事をしたり、面会をしたりする部屋)で書くように言われる。
先程のアンケートを一通り書き終えてしばらくすると、担当の看護婦さんがやって来て、病棟の説明や、術前術後のタイムスケジュール、術後のリハビリについて、細かく話してくれた。
その後病室へ案内される。372号室。二人部屋だった。
荷物を整理してると、同室となる患者さんが看護婦さんに案内されて入ってきた。
『あっ。。。さっきデールームでアンケートを書いてた人だ。しかも、私と同じリハビリグッズを持っている。ひょっとして同じ乳がん仲間??』彼女には申し訳ないが『私ひとりじゃないんだぁ〜』そう思うとちょっと嬉しかった。
看護婦さんから「後で服部先生から手術についての説明がありますから、しばらく待っていてください。」と言われて初めて手術担当が服部先生である事を知った。
この病院では必ずしも外来の時の先生が手術を執刀するわけではないので、外来でかかった先生が主治医になるとは限らない。でも、同じ先生で良かった。。。ちょっと安心。
12時を過ぎてナースステーションに呼ばれ、服部先生から手術の説明があった。
24日(火)に撮ったCTと骨シンチの写真を見せてもらって、これも問題なし。
その後、もう一度手術の方法の確認。全身麻酔で、まずしこりだけを取って顕微鏡検査をする。
その結果が良性なら、そこで手術は中止して麻酔を覚ます。悪性の場合は、引き続き腫瘍の周り2cmの乳腺切除と腋窩リンパ節郭清となる。
手術に伴う合併症の説明もしてもらった。
説明が終わって病室に戻り、渡された同意書にサインをして提出する。
主人は午後から出勤する為にここで帰った。居てもらってもする事はないので「また明日ヨロシクー!(^-^)/~~」と別れた。
 さて、ルームメイトと二人になって「乳がんですか?」の質問から始まって、お互いどうやって見つかったか、先生からどうやって聞かされたなど色々たくさん話して、すぐに仲良しになった!と、思っているのは私だけかもしれないが・・・??(((((^_^;)
でも、年代も同じくらいで同じ日に入院、同じ日に同じ手術をするので、何かと心強かった。
以後、彼女の事をここでは“さりーさん”と呼ばせてもらう。
手術前日は入浴がOKらしく、看護婦さんに言われてさりーさんと2人で浴室へ行った。朝も家でシャンプーしてきたが、せっかくなのでここでもう一度洗っておくことにした。
病室に戻って抗生剤の皮内テストを受ける。この注射が、これまた結構痛い。
夕食の時間になってデールームへ行く。先輩方々と並んで頂くことにする。
この日の夕食はおかゆと軟菜。赤ちゃんの離乳食のような食事だった。
この夕食の時に乳がんの手術から3日目というおばあちゃんに出会う。とてもお元気で励まされた。他の患者さんからも「手術できるものは絶対治るから。心配ないよ。」と励まされた。また、クリスチャンでとても上品そうなおばあちゃまは「こんな若い人が・・・話を聞くだけで涙が出るわ。」と泣かれてしまった。(^_^;)
普段は思いっきり中年のおばちゃんな私なのに、ここではみんなに「まぁ。。。若いのに」と言ってもらえる。そりゃ、病院の中では若い方だろう。でも、そんな事ちっとも自慢にならないし、むしろこんな歳で入院してる方がおかしい訳で、喜んでなんかいられない。
夕食の後は水分のみOKで、夜9時に睡眠薬とストレス予防の為の胃薬を飲んで消灯。
9時か・・・眠れるかな? 

2001年7月27日(金) 手術
 《手術前》
朝6時半頃、さりーさんと共に「浣腸をしますから処置室へ来てください」と呼ばれる。実はこれはお産の時にも経験したが、かなぁ〜〜りツライ!!
「薬がまわるまでしばらく我慢してて下さいね。」と言われたが、とてもじゃないが待てない。うううう・・・お腹が痛い。(>_<)
用をたして、病室に戻ったけれど、しばらくはお腹が痛かった。
午後1時過ぎ手術室へ運ばれる。
この辺りで既に私の記憶が定かではなく、病室から手術室へ運ばれて行った記憶も全くない。でも、家族の話によると、「行ってきま〜す!!(^-^)/~~」と笑って手を振っていたらしい。
きっと家族は心配していただろうに、私ときたら、全く暢気なもんだ。(^^ゞ
手術中の記憶は勿論ないっ!あったら怖い!
でも、なんとなく男の人と女の人の話し声が聞える。何を話してるのかまでは分からない。そして左胸やら脇の辺りを引っ張られたりする感触がある。
『あれ?ひょっとして麻酔が効いて無いのかな?でも、痛く無いからまぁいいか・・・』そんな事を思っていた記憶だけはある。そして、また意識が薄れていったと思う。
それが手術が始まる前だったのか手術中だったのか、手術が終わって麻酔を覚ましている途中だったのか、未だに分からない。
《手術後》
ボーっとしながら目が覚めたのは午後5時半頃だったんだろうか・・・。とにかくまだ頭に考える
力はなく、ただただボーと寝ているのか起きているのかもよく分からない状態。
『ん・・?誰か立ってる?』目を開けると服部先生だった。
 Dr 「あっ、起しちゃった?ごめんね。」
 私 「いえ・・・・・」
 Dr 「やっはりね、ガンだったわ。」
 私 「はい・・・・・」
この時やっと『あああ。そう言えば私、乳がんの手術したんだ・・・・。もう終わったんだな。』と気がついた。『この人に命を助けてもらったんだ・・・』大袈裟かもしれないけれど、ぼんやりする頭の中でそう思った。でも、その後またすぐに眠ってしまった。。。と思う。
夜8時頃に主人がもう一度面会に来た。この頃になると随分意識もはっきりとしてきている。首と背中と腰が痛い。でも、思うように動けずとにかく寝ているのがツライ。鼻の所についている、酸素吸入のチューブもなんだかうっとおしい。
先生が様子を見に来てくれたので、それを訴えると酸素のチューブは外してくれた。
 私 「動いてもいいんですか?」
 Dr 「いいよ。」
 私 「起き上がったりしてもいいです?」
 Dr 「うん・・・。いいけど、全身麻酔したんだからあんまり無理しないで。何かあったら僕の責任
になるから。」と苦笑された。
主人にも「あんまりワガママを言うな!」と叱られる。(^_^;)
その夜は、2〜3時間おきに看護婦さんが検温と、脇の下に排液を出す為の管が1本入っているのだが、そのバッグを開けて排液の量を調べに来てくれる。
その合間には、足に着けられた血圧計がブーンと動き出しなかなかゆっくり寝かせてもらえない。
うとうとしたかと思うと足元がブーン!!またうとうとしたかと思うと「お熱計らせて下さいね!」と来る。そして全身麻酔のせいで、吐き気がする。ついでに言うと、同じICUに入っているおじいちゃんが何度も看護婦さんを呼ぶ。このおじいちゃん、少し耳が遠いらしく、看護婦さんも大きな声で話す。
眠れない、長い長い夜だった。
夜中の12時頃、また服部先生が様子をみにきてくれた。
私が何度も戻すので「鼻から胃まで管を入れると吐き気はなくなるから楽になるよ。」と。
でも、どう考えてもその管を入れる事の方が辛そうなので、お断りした。 

2001年7月28日(土) 術後1日目
術後から今朝までの排液の量 83ml
(この病院では、これが30ml以下になると管を抜いてもらえる)
朝から採血。腕に点滴をしているので、足から採る。この時、もう寝ている事に耐えられなくなった私は看護婦さんに「起き上がってもいいですか?」と聞いてみる。「いいですよ。」との事なので、ベッドの上に起き上がってみた。
胸は痛くないが肩から脇の下あたりが固まっている感じがする。隣のベッドのさりーさんにも「お元気〜?」と声をかけてみた。さりーさんも「背中が痛いぃ〜」と同じらしい。
そのままベッドの上でボーっとしていると、服部先生がみえた。
『確か、昨日の夜中までみえたのに、こんな早朝にもみえると言う事は・・・ひょっとして、昨夜はお泊りだった?』ご苦労様です・・・m(__)m
9時過ぎに回診を済ませると、水分OKの許可が出る。
導尿の管も抜いてもらって、心電図の器械も外された。看護婦さんにお湯で身体を拭いてもらって着替えを済ませると、なんだかとても身軽になった気がした。
11時頃にHCUから元の病室へ移り、点滴はお昼までで終わった。
早速、家族と友達に電話をしに公衆電話まで歩いていく。これには皆な驚いていた。
「昨日の午後に手術して、もうそんなに歩き回れるの?」と。実は私自身もびっくりだった。
丁度デールームではお昼ご飯の最中で、私がうろうろしているのを見かけた皆さんに「あれ?昨日だったんでしょ?手術。」と驚かれてしまった。
「はい、無事終わりましたぁ〜!食事は今日のお夕飯からなんで、また御一緒してくださいね。」
とご挨拶しておいた。
「どうしてそんなに元気なの??」と聞かれたので「悪者を取ってもらって、すっきりしたから!(^^)v」と答えて病室に戻った。
さりーさんは手術前から微熱があり、血圧も低くイマイチ体調が悪そう。結局、術後初めての食事だったこの日のお夕飯は、さりーさんは部屋で食べる事になり、私ひとりでデールームに行く。
普通食の皆さんに混じって私は五分粥と裏ごし食。これはかなりサミシイ。
でも、みんなに「すぐ食べられるようになるから!」と励まされる。
 部屋戻って、リハビリを始める。
まだ、術後1日目なのでメニューは少ないが「腕を肩の高さまで上げる」この運動ができない!上がらない!なんだよ、この腕!って感じ。(^_^;)
これは真面目にやらないと本当にヤバイかも?と思った。

2001年7月29日(日) 術後2日目
昨日から今朝までの排液の量 67ml

2001年7月30日(月) 術後3日目
昨日から今朝までの排液の量 46ml
今日からやっと普通食。これは結構嬉しかったりする。普通食になるとお昼と夜は2種類のメニューから好きな方を選べるからだ!我ながら単純だとは思うけど、入院生活でのお楽しみと言えばこんな事くらいしかないから。

2001年7月31日(火) 術後4日目
昨日から今朝までの排液の量 39ml
今日は術後初めての開創。
回診の時にガーゼを外して、傷口の消毒をしてもらう。そっと、自分の傷口を見てみる。
『うわっ!切れてる・・・。(>_<)』当たり前だ。
脇の所の傷は見えなかったけれど、おっぱいの傷はしっかりと見てしまった。
回診の先生や看護婦さんは「うん。きれい。きれい。お二人ともすごくきれいな傷口ですよ〜」と言っていた。『これで??そんなものなのかしら・・・』

2001年8月1日(水) 術後5日目
昨日から今朝までの排液の量 37ml (あともう少し?)

2001年8月2日(木) 術後6日目
昨日から今朝までの排液の量 29ml 
今日の回診はM先生だった。排液の量が一応30mlを切っていたので、M先生は「う〜ん。29。29・・・。抜去!」と言われたが、29mlというあまりにも微妙な数字なので管を抜くにはちょっと不安があり「もう少しこのままでもいいですか?」と聞いてみた。
「じゃ、やめとく?別にいいよ。『本人の希望により抜去せず』と書いておくわ。」と言われて、消毒のみ。
『早く抜ければいいな。。。』と思っていた管だけど、いざ抜くとなると『ホントにいいのかしら??』と思えてくる。
今じゃ愛しの排液バッグ♪ってか?

2001年8月3日(金) 術後7日目
 昨日から今日までの排液の量 29ml (昨日と変わらない・・・)
今日は朝一番に採血あり。
朝一番は本当に朝一番で、まだ6時前だった。半分寝ぼけたまま、血を抜かれる・・・(Θ.Θ) Zzz
 朝食のあと、服部先生がみえて
 Dr 「排液の量が昨日と変わってないから、今日は管を抜きます。」
 私 「えっ?29ですけど大丈夫ですか?」
 Dr 「もしまた溜まってきたら、いつでも注射器で抜けるから、大丈夫!心配しなくていいか
ら。」
 Dr 「で、月曜日に放射線科へ行って、その日でもいいし、翌日の火曜日でも、どっちでもいい
から退院。」
『やったぁ〜!やっと先が見えてきたぞっ!(^^)v』
と言う事で、回診の時に管を抜いてもらう。少し痛かったが、抜いたあとはすっきり!身体が軽くなった。

2001年8月6日(月) 術後10日目
昨日、入浴許可をもらったので、さりーさんと浴室へ行く。
初めて自分でガーゼを外してみる。と、なんだか脇の下がぷっくりと膨れているぞ?
取りあえず、そのままお風呂に入って、回診の時、先生に聞いてみる事にする。
 回診。今日もまた診療部長の偉〜い先生。
 私 「あの・・・ここ腫れてるような気がするんですけど・・・」
 Dr 「あああ〜。水が溜まっちゃったね。」
 私 「ああ。水ね。排液が溜まっちゃったんだ・・・そっか。これがそうなんだ。」
 Dr 「一度注射器で抜いてぺちゃんこにしよう。」
 Dr 「こんなものはね、全然驚かなくていいよ。良くある事なんだから。」
 私 「でも注射器を1回刺す分、痛い思いするじゃないですか〜。」
 Dr 「それが上手にやると痛くないんだな。ね、痛くないでしょ?」
『ん?ホントだ全然痛くない。針を刺したのもわからない!』と、その時私はある事に気づいた。
 私 「あ。ひょっとして・・・私のそこの感覚神経がなくなっちゃってます?」
 Dr 「ははは〜。バレちゃった?」
『相変わらずお茶目な先生だ(^_^;)』
と、こんな会話をしている間に採れた排液23ml。
でも、本当に私の脇の神経はリンパ節と共になくなってしまったようで、ある意味便利な身体だけど、ちょっとショックだったかな・・・?
午後から放射線科を受診する。
腕が頭の上まで上がるかを確認され、乳腺全体を23回、局所で5回、合計28回の照射と説明された。
その後、放射線をあてる位置決めをする為のマーキングをされる。
そして退院翌日の8日にCT、9日からの治療開始が決まった。
この放射線科でガーゼを外された時、また脇の下が少し腫れているのに気がついた。
朝ほど大きなたんこぶではないけれど、やっぱり腫れているような気がする。外科の病棟に戻ってから、看護婦さんに見てもらうと、「うん。腫れてるような気がするけど、これは先生じゃないと
抜けないんですよ。私達がやるわけにはいかないんで・・・」との事。
「服部先生は、今、手術中なので、終わったら伝えておきますね。」と言ってくれたので「じゃ、時間が空いたらでいいので、お願いします。」と言って病室へ戻った。
夕方5時頃、服部先生が手術着のまま注射器を片手に現れる。
そして採れた排液17ml。朝、抜いてもらったのと合わせると40ml。結構な量じゃない!
これって・・・・・リバウンド?(^_^;)
退院間際になってイヤ〜な感じ (ーー;) 
それでも明日の退院に備えて、今日も消灯前に“お肌ぶるるん美白パック”をしておいた。

2001年8月7日(火) 術後11日目 退院
ついにこの日がやってきた。気分は上々!\(^o^)/しかし、お天気は私が入院してから初めての雨。それも半端な雨降りじゃない。どしゃ降りの大雨だった。
朝、服部先生がみえて「今日、退院ね。最後にもう一回傷口を見せて。」と言われる。
また、少し水が溜まってきているようで、退院診察の時にもう一度抜いてもらうように指示される。
9時過ぎ、退院診察に呼ばれ処置室へ行く。
 Dr 「抜く事は簡単なんだけど、こう毎日抜かなきゃいけないようでは・・・もう一回管を入れた方がいいかな・・・?」
『ええっ!?そんなぁ〜(T_T) 退院はどうなるのよぉ〜?』
 Dr 「どうしよう・・・抜こうか。取りあえずこれは抜いておこうか。」
と抜いてもらったあと、今までになく大きなガーゼでがっちりと脇の下を固められてしまった。昨日はガーゼもなしだったのに、退院の日になってなんなんだ?これは?? 
 Dr 「ちょっとね、服部先生と相談して来て!」
と、言われた。
が、この日、服部先生は外来の診察日。すでに、診察時間が始まっている為、私はパジャマ姿で外来まで行く事になる。外来患者さんが行き来する中をスリッパでペタペタと歩いて行った。
 私 「なんかスゴイ事になっちゃたんですけど・・・」とガーゼを見せる。
 Dr 「ああ。それでいいよ。」
この大きなガーゼは、脇の下を圧迫して水が溜まる所を押さえようとする作戦。なので、こうやって圧迫したまま一週間様子をみる事になった。
と言う事で、このまま退院はOK!しかし、せっかく許可されていた入浴は、このガーゼのせいで、また腰湯に逆戻り。(T_T)
そして、決まっていた放射線治療もガーゼを当てたままではできないので、延期する事になる。
ま、退院できるんだからよしとするか。
病室に戻るとさりーさんが「長かったねぇ〜、どうしてたの?」と心配してくれた。
外来まで行っていた話をして、まだ管の抜けないさりーさんに「早く抜けてもこれじゃダメねぇ・・・┓(´_`)┏」と苦笑い。
この頃には迎えの主人も来ていたので、荷物の整理をして着替えをして、お世話になったこの病棟ともいよいよお別れだわ〜。
さりーさんとおばあちゃんが、階段の所まで一緒に来て見送ってくれた。(T_T)ノ~~
久し振りの外界は、蒸し暑かった。病院の中って快適だったのね・・・(^_^;)
そのまま自宅へは帰らず、今週いっぱいは実家でお世話になる事にする。
でも、実家にいてもこれと言ってやる事はなく、病院にいるのと同じぐらい暇だったりもする。