命の詩 「悪性リンパ腫」

キー坊さん
キー坊のいたずら書き
★がんの発見 
平成12年8月。今日も朝から暑かった。それでなくても、人一倍汗っかきの私は、1日の仕事を終えて、日課となっている浴室でのシャワーを浴びている時に、ふと腋の下に手をやって驚いた。右側の腋の下が、いやに盛り上がっている。このところの晩酌のビールで、肉がついて太ったのかな?・・・と最初は思った。
なにせ暑くて咽喉が乾くものだから毎晩ビールを飲んで、その上いろいろ酒の肴をつまみ食いし、その後、ご飯もしっかり大盛り2杯も食べていたのだから。・・・体重も冬場より3kgは確かに増えた。 
そんな訳で、腋の下の肉塊を、今度は洗面室の鏡に、万歳をして映して見た。
すると、明らかに左と右とでは、まったく違う。左は凹んでいるが、右はこんもりしている。
「変だぞこれは??」早速書棚から「家庭の医学」(何かというとこの本を利用している)を引っぱりだして、これに該当するような項目を読んでみた。「脂肪肝」や「リンパ腫」などの症状があてはまる。ちなみに「がん」の項目も調べてみた。「悪性リンパ腫」=リンパ節の腫瘍。
これがぴったりだ。ドキリとした。と同時に嫌な予感がして、その日は不安いっぱいで床に就いた。
しかし、気になってなかなか眠れない。・・・いろいろな思いが頭の中をぐるぐると駆け巡る。
何せ現在まで、病気らしい病気はしたことがなく、至極順調にきたけれど、俺の人生にもそろそろ終局がきたのかな?という弱気の虫まで頭をもたげてきた。

2・人生最大の大ショック
浴室で腫瘍を発見し、ほとんど眠れぬままに気懸りな一夜を過ごした。
・・・翌日、朝食もそこそこに、近くのS大付属病院へ出かけて診察を受ける。内科(外来)の医師は触診しつつ、「随分大きいけどなんだろう?」 と首を傾げながら、「はっきりしたことは、一部分を切除して検査(生検)をしてみないと判らないので、そのための入院をしてください。三、四日で済むと思います。入院日はおって通知しますから・・」と云われる。
結局、その日は、医者の判断では何であるかがハッキリ判らず、不安を抱えたままで一担帰宅した。
それからは 「何かなあ〜?」「何だろう?」と自問自答しつつ、パソコンで医学関係のホームペ−ジを、あちこち覗いているうちに、ふと国立がんセンターの「がん疾患の項目」の中に 「悪性リンパ腫・ホジキン病」 の説明文が、まさに自分の症状にピッタリであるのにぶつかつたのだ。
「これかあー」と一瞬その説明文にくぎずけになり、頭の中が真っ白になり、すーっと身体から血の気が引いていくのが自分でも判った。・・・ そして何度も何度もその説明文を読み返してみた。
「間違いないな多分・・・」 そして私は、その時、何故か判らないが反射的に、自分でも不思議なくらい冷静に、そのことに対して納得をしていた。たとえそうであっても、慌てずに、周りの者に余計な心配をかけないように、今後の自分の身のふりかたをじっくりと考えよう・・・と。
それは年齢からくるものなのか、それとも、自分の本心からは程遠い、妙に開き直ってしまった自分でも不思議な心理状態からくるものなのかは明白でない。要するに、「パニック状態」の気持ちの裏返しということなんだろうと思う。
・・・それから一週間程して病院から、ベッドが空いたとの連絡がはいった。「さあ、これからが闘いだな。
どこまで交戦できるか、ともかく頑張らにゃあ」・・・と覚悟を新たにした。
平成12年8月18日。昼下がりの暑い、暑い午後のことであった。  

3・入院〈検査) 2002/05/06
平成12年8月21日。S大付属病院へ入院して、患部の一部を切除し、1週間程して返ってきた病理組織検査の結果は、予想通り、病名は 「悪性リンパ腫(ホジキン病)」であつた。一担退院して、治療のために必要な病期(ステージ)を確定するために、外来でいろいろと精密検査を受けることになる。
* 検査日記 *
9月9日〈土)
外来でRI検査のための注射をする。

9月11日(月)
9時より病院でRI検査をする。始めて受ける検査である。病巣の発見に威力を発揮するものだと理解している。検査室に着いて間もなく検査台へ・・・。カメラが上から下から横からと当てられる。
全局部の測定と撮影等に、1時間程かかった。この検査の詳細結果は1週間後外来で説明されるということであった。

9月21日(木)
今日は「骨髄検査」のため通院する。2時半頃より処置室へ入り局部麻酔を腰骨に注射し、骨髄をとる。
途中麻酔が切れて痛み、5cc追加で射ち、なんとか終了する。結果は4,5日で判るそうだが、28日のCTと一緒に全ての検査が終った時点で説明があるそうである。早めに放射線治療を始めたいが、やみくもにはじめても意味がないのでこれもやもう得ないのかもしれない。

10月5日(木)
今日は最終結果の話がある。自分にとって、今後の生活(治療を含めた)を左右する大事な日でもある。
リンパ腫にあまり変化はないが、チクチクする軽い痛みは相変らずだ。午前11時40分頃外来へ。
一時間程待って、血液内科の担当医に呼ばれ、検査結果の総括として下記のような説明を受ける。
* 検査結果 *
(病名)・・・・・・・悪性リンパ腫(ホジキン病)
(部位)・・・・・・右腋かリンパ節腫瘍(大小無数) 
          大動脈周囲リンパ節腫瘍・無数
(臨床病期)・・・V期
(入院期間)・・・2,3ヶ月。以後経過を見て外来治療。治療は病変が複数であるため、抗がん剤によるものとする。そのため、入院治療が必要になる。放射線治療は不要。

(副作用)・・・・・脱毛、口内炎、吐気、肺炎、過敏症、骨髄抑制(白血球、赤血球、血小板)
          免疫力低下、心毒性
以上が説明の大要である。
10月13日をめどに入院となる予定だが、その日時は後日病院より連絡するとのことであった。
結果は、臨床病期ステージ第3期。つまり、リンパ腫が、腋下限局のものではなく、大動脈周囲リンパ節10数カ所にも及ぶものであった。「あ〜あ気がつかなかったなあ・・・なんでいままで判らなかったんだろう?・・・」改めて、「癌」というもののそら怖ろしさを知った。そしてふっと、あの静かに、音もなく目標に向かって近ずいてくる原潜に似ているなと思った。なにしろ何の症状も痛みもなかったのだから・・・ましてや、初期の場合の状態であれば、まったく自分では気がつかない事が多い。そして、改めて治療のために入院したのが、平成12年10月16日の午後であった。

4・再入院
10月15日(日)
昼頃、病院より空きベッドの連絡が入る。明日午後1時に外来にくるようにとのことだ。いよいよ治療に入ることになる。体調は変わらない。
・・・そして改めて再入院したのが、平成12年10月16日の午後であった。
これから自分はガンとの闘いが始まるんだ、頑張らねばならないぞ。・・・と改めて覚悟を決める。
暫らくして担当医のY先生が見えて、身体の所見をする。一通りの診察がすんで、、この後、X線と心電図の検査をうける。終了したのは、午後4時頃であった。
その日の夕方近く、病棟の屋上へでてみた。夕陽がすごく綺麗な彩で町並みを染めていた。私はそれを眺めながら、「早く治ってくれよ、頼むからな・・・」と、ひとり密かに祈りながら、改めて「がん」との闘いにたいする誓いをたてたのだった。

10月17日(火)
10時30分、内科医師の回診があった。骨髄異常の再検討も再度するとのことである。週3日の採血検査も入るらしい。午後4時頃、Y先生が見えて明日からの治療について一応の説明があった。

5・第1回目 薬物療法(抗がん剤)
入院して2日後の10月18日、午前10時50分。第1回目の薬物療法「抗がん剤」の点滴を開始する。
2日前に行った血液検査で、骨髄のほうの組織に少し異常があったとかで、この点を内科医数人で再度よく検討してから薬の量と種類を決めるということだったが、結局予定どうりのものに落着いたようだ。
いよいよ天下分け目の関が原である。心して体内に「気」を充分送りこむ。最初に「吐気止め」。そして、「アドリアシン」 40mlを30分位で入れる。次に「ブレオマイシン」と「ピンクリスチン」を靜注。
そして、最後に、「ダカルバジン」を2,5時間かけて点滴。入院前に、医学書やインターネットのホームページで調べた、この薬による副作用の症状のひとつひとつが脳裡をよぎる。自分にも、これらの副作用の苦しみが必ずくるのだろうか?・・・そんな言い知れぬ不安と緊張感が走っていた。
途中、お昼になったので起きあがって針を付けたまま食事を済ませた。
そうこうするうちに、比較的静かに、午後2時に点滴は全て終了した。所要時間、3時間10分である。
その間、始めてという緊張感と不慣れで、腕を動かすのも怖くてず〜っと時計だけを見ながら無心状態で過ごした。しかし、身体にべつだんこれといった変調はない。このままあと数時間、いやず〜っと何も無ければいいのだが・・・。
第1回目の薬物療法(抗がん剤)を終って、2,3時間たった5時頃に、教科書通りの副作用が出た。
身体が妙にだるくなり熱っぽくなる。

10月19日(木)
胸のむかつきは消えたが、身体の熱っぽさとだるさは消えない。この状態は今日一杯続くのかもしれない。

10月21日(土)
少し胃のあたりがもやもやしていたが、食べたら幾らか落着いた。これはやはり副作用のせいなのだろう。
10時頃担当医に「外泊願書」を貰い提出する。
血小板の6.90は少ないが、気を付ければ大丈夫だろう。午後4時。妻が車で迎えにきてくれた。
別段歩いてもなんともない。

10月22日(日)
久しぶりの我が家での一日は最高の気分だ。夕べはよく眠れたしなおさらである。家族とのコミュニケーシヨンをはかり、今後のことや、世間話をしてストレスを解消し、気分がスッキリした。やはり、我が家のいごこちは良く、あっ!というまに外泊は終了。夕食は寿司をとり、午後7時に病院へ帰る。
また明日から闘病生活が始まる。頑張らねばならない。
ところで、血液検査の結果であるが・・・
1週間もすると、白血球がぐ〜んと減ってくる。(1510)これは、抗がん剤が効いている証拠なのだが、貧血気味になってフラフラしてくるのもこの頃だ。
寝た状態から起きあがったときに、フワーッとしてくらくらっとくる。歩いてもふわついている。
まるで酔っ払いである。かなりの数の細胞が死んだからだろう。そう、大切な善玉(キラー細胞)も。
だから、いま風邪をひいたり、熱を出して肺炎でもおこしたら、命取りになりかねない。すぐに病原菌に感染する抵抗力のない身体だからだ。

6・第2回目 薬物療法(抗がん剤)
別段何の異常もなかったが、参ったのは、途中2回もトイレに立ったことだ。一時間と持たない。
これは、小生が前立腺の薬を飲んでるせいもあるのだろう。それと、冷たい薬が体内に入っていくので、多分にそのせいもあるようだ。

11月7日(火)
夜中にやはり熱が出た。38.5分。脚の方に悪寒がある。寒くて毛布をしっかりかけて寝る。
氷枕をして、汗をとるために下着を出して着けた。・・・が、さほど汗は出ず次第に熱も下がってきた感じだ。熱さましの座薬を使ったせいだろうか?

11月9日〈木)
今朝は採血があり、またもや看護婦が失敗して悲鳴をあげていた。ところで今回の採血結果はかなり注目していい。とにかく2回目の抗がん剤の投入であるからだ。

11月10日(金)
二回目点滴の採血結果が届いた。数値はあまりさがっていない。それにしても、免疫力となる食事が摂れないのは痛手である。

7・屋上でのウオーキング
闘病生活を送り始めて、極端に運動量が少なくなり、足腰の衰えを感じはじめてきたので、体調の良いときをみて、務めて歩くことを心がけるようにしようと思った。しかし、病棟内の廊下をあまりウロウロできないので、屋上へ上がり其処で始めることにする。
風邪をひくといけないので、風が無くて暖かい晴れた日をその実行日と決める。
私のウオーキングは、このあと退院するまでこまめに、真面目に雨の日以外は続けられたのだ。これは、おおいに誉めてやってもいいことだろう。そして、体調回復には予想以上に役に立ったと今でも思っている。
皆さんも、すこしでも動けるようなら、ゆっくりでもいいから歩いてください。気分も体調も、きっといまより、ぐーんとよくなるはずですから・・・。

8・退 院
12月6日 
今朝早く何時ものように採血があった。しかし、今日のはちょっと意味が違う。この結果次第で、クリスマスかあるいは今年中に退院できるかどうかが略決まるので、祈るような気持ちなのだ。
しかし・・・私の憶測を無視するかのように、結果は 「NO」と出た。ちょっと数値に問題ありで退院は先延ばしになってしまった。残念だが致し方ない。
あまり血球数が少ないと、身体がふらつくし、貧血で眩暈も起こり易いので、延び延びになることも納得である。まあ年内には帰れるだろうとあせらないことにした。
二日後の8日にまた採血があった。ちょうどこの日、内科部長の総回診があり、退院して外来で治療を受けたい旨話をすると、白血球数が2000を超えていれば問題ないだろうということになり、この一言で退院の許可願いを、担当医に提出しようと決めたのだった。
*帰宅(11日)*
この日、朝から良い天気である。気分も爽快で、まるで幼稚園の遠足にでも行くような気持ちなのだ。
担当医、婦長、看護婦らに、お世話になったお礼の挨拶をし、退院の手続き及び会計を済ませて、迎えにきた妻と娘と一緒に外え出た。
その晩は、家族揃って退院の膳を町のレストランでささやかながら囲んだ。久しぶりに外の雰囲気を味わい、心弾んで食もすすんだ。「あ〜あまだ生きていたなあ〜」自分の口から出た素直な実感であった。
「皆どうもありがとう・・・これからもよろしくな・・・」 あとは声が詰まって出てこない。ただ黙って皆の顔を代わる代わる見つめていた。

退院して2日後の12月13日より、再び「抗がん剤」によるリンパ節腫瘍叩きが始まる。