卵巣ガン闘病日記

okobiさん
With Best Wishers
病気発見まで
最初に異変に気が付いたのは、2000年の夏でした。彼氏だんな様(当時は彼氏)とプールに行くためにダイエットを始めました。
私の体は変わっているのか、いつも夏になると何もしなくても自然と2kgほど体重が落ちていたのに今年は変化なく、いくら運動をしても、体重は落ちませんでした。そして、下腹が出ているのに、気づきました。でも、23歳、甘い物を結構食べていた私が下腹が出てきても、太ったとしか、思いませんでした。
そして、2001年になりました。 年末ごろから頭痛がひどくなり、風邪を引いたかな〜くらいに考えていました。
3月に結婚することもあり、準備におわれて忙しい日々だったので体調を崩しても 何も思いませんでした。しかし1月37度の熱の状態が当たり前になってきて、毎日解熱剤を飲んで仕事をしていました。会社に寿退社のお願いをしていたので、立つ鳥後を濁さずでかなりがんばっていました。
結婚式の準備も、だんな様に任せてはおられず、私が一生懸命準備しました。でも、1月終わりごろ、40度近い熱をダウンしました。近くの内科で見てもらったのですが、その時の風邪はお腹が張って、熱が出るということでした。1週間近くフラフラでいろんな仕事をこなして、2月ごろには一応普通には戻りました。
次の問題は生理でした。予定日を過ぎても気配すらなく、妊娠??も疑いました。上にも書いている通り大量のきつい薬を毎日のように飲んでいた私は、子供が出来ていたらおろそうって思っていました。この時はまさか、自分が子供産めなくなるかもって経験するとは思っていなかったので、こんな風に思ってしまったんです。でも、なかなか生理がこなくて妊娠検査薬を買い、 出来ていたら産んで育てようって思ったら生理は無事始まりました。
2月末・・・3月に結婚式ということもあり、お腹の痛みが少しあったのでもう一度病院に行きました。先生に嫌なしこりがあるので、明日超音波をするので、もう一度来て下さいと言われました。 先生曰く妊娠に似てるんだけど、可能性はないの??だったけど、だって、生理来た所なのに出来ているはずないし・・・。 次の日、兄の運転でもう一度病院へ。 家族とは、便がたっまてるだけなんちゃうの??って笑って話していました。 私が病院に入り検査をしている間、兄は私の前撮り写真の着物の結婚写真の整理をしてくれていました。本当に、結婚前の幸せな日々だったんです。
それが・・・。 先生と看護婦さんとのお話・・・。 子宮筋腫の疑いがあり、かなり大きくなっている。
明日大きい病院で検査をしてもらうこと。この検査しだいでは3月の結婚式は無理になるかもしれない。
先生とは小さい時からの付き合いだったので、先生は”結婚相手はやさしい人??見合い結婚ではないね?恋愛結婚やね??”って何度も聞かれました。 私は子宮筋腫がどんな病気かしりませんでした。
20代前半だったので、婦人病になるなんて考えていませんでしたから。 先生と看護婦さんの心配の様子から、私は子供が産めなくなる可能性があること、ひどい場合即入院手術で結婚式は出来なくなることを理解できました。車に戻った時、兄の前で大泣きしてしまいました。

2001.2.28 市民病院へ行く。
あの、診察台にのり検査。診てもらったら、やっぱり腫れてるものがあるので、手術で取るということが決定した。ここでも、ショックで泣いてしまった。そのが、大量の採血をした。採血を担当してくれた看護婦さんは婦人科からの採血というので手術をするということを気づいてくれて励ましてもらった。

2001.3.5〜3/8 結婚式を挙げに北海道へ。
だんな様にはこれに行く前にきちんと話しました。
でも、顔色一つ変えずに私を受け入れてくれました。あまり深く考えていなかったのかも知れないですが。
子供ができなくなる可能性もあるので、キャンセルするならキャンセルしても良いと私は思ってましたし、そのことも告げました。だんな様は別に子供を産むために一緒になるわけではないんだからと言ってくれました。雪の中、天気も味方してくれ、いい結婚式になりました。

2001 3.16 MRIの検査に MRIの検査をしに、病院へ。初めてでどきどきしましたが、機械に横になって、それだけで、眠りそうになった時、注射(栄養剤)されて20分くらいで終わりました。

2001 3.23 先生とお話をしに 体力の検査 MRIのレントゲン写真を見てのお話です。
左の卵巣がまったく見えないことからこちらは全部取ることに、右の卵巣はきれいに写っているので大丈夫だということ。一番の問題、子宮ですが、卵巣の大きくなり方しだいだといわれました。
卵巣が子宮にぴったりくっついていた場合、卵巣をとるために一緒に取ることになるけど、卵巣の中にできているのであれば、卵巣を取るだけで済む。けど、お腹を開けてみないとわからないってことでした。
後、手術に耐えれる体かの体力の検査をしました。

2001 3.27 麻酔のお話
麻酔の時の副作用・危険なことのお話を聞きました。
それと、もう一つ手術の後の痛みを消す麻酔をするかどうかのお話。
背中に管を通してそこから麻酔の薬を送る。術後しないのと、したのではかなりの痛みが違うみたいで、麻酔をしなくても痛み止めの注射をしても痛みは防げるけど・・・。って話で私は麻酔を選びました。

2001 4.6 先生と手術前の最後のお話 別に今までと変わりなく、お腹を開けるまではわからないということでした。
が・・・!!体力の検査で不整脈がでたため、再び検査をすることに。
ウオーキングのマシーンで歩くだけでしたが、運動不足の私はかなり疲れました。

2001 4.16 入院
手続きをして、病室へ。
親の希望で個室に入る。見舞い(洗濯物を取りに)来るのが父だったので、産婦人科病棟ということもあって来やすいように個室へ。

4.17 手術前日
少しずつ手術に向けての準備が始まりました。
昼間に薬剤部の人の説明があり、今後出る薬のこと、今日の下剤のことを聞きました。
下剤の影響でのどが渇くのでしっかり水分補給をしてくださいって言われました。
夕食もしっかり食べて、いよいよ明日の手術に向けてしっかり睡眠。

4.18 手術の日
朝から絶食のスタートです。
点滴の針を通してもらって、後はごろごろしてるだけ。
12時ごろみんなに見送られて手術室へ。
ばいばいって言って入っていったのは覚えていますが、手術用のベットで腰への管を通している間に眠ってました。薬の力はすごかったです。痛いと一度も思わなかったですし。
手術が終わって病室に戻ってきた時私は眠っていました。
起きたらだんな様がタオルで心配そうに汗を拭いていてくれました。
私が一番最初に言った言葉は産める??でした。お母さんが大丈夫って答えてくれて、安心してまた眠ってしまいました。

4.19〜27
手術次の日の朝、呼吸をはずしてもらって、顔を拭きました。自分の息で鼻がかゆくてしかたなかったので気持ちよかったです。点滴をして、痛みは背中の麻酔でかなりましでしたが、麻酔の人に痛み止めの注射してもらってもいいよと言われ、1回少し痛いときにして貰ったけど、この注射の痛いこと。また、注射の後すぐ眠ってしまったので、注射が効いたのかどうかはわかりませんでした。だから、それからは注射なしで、すごしました。
27日午前中に無事退院。お腹が張ると痛いので腰を曲げてゆっくりと歩いてました。

2001.5.1
手術で取った得体の知れない物体の検査結果を聞きに病院へ。
まえ先生が悪性の可能性は低いと聞いていたので、”良性です”の一言聞くだけにめんどくさいなーと思いながら病院へ。
受付で先生外来の日じゃないので他の先生から結果聞いて下さい。といわれて”はいはーい”と思っていたのですが、走って担当の若い先生が来てくれて”わざわざ悪いなー”なんて思っていたのですが・・・。
先生から検査結果を聞くと・・・。
”悪性”・・・・・・・。
悪性ということは・・・・???????
がん?にたどり着くまで時間かかりました。
そして治療内容。最初の先生の話では悪性だったとしても3ヶ月に一度通院で注射打つだけと聞いていたのですが・・。そんなに簡単ではなかった・・。
抗がん剤治療。
入院、短くて2ヶ月かかります。って。
あまりに理解できない私だったので先生は親を呼んでください、それから説明します。って。
あわてて、両親、だんな様を呼びました。
そして泣きました。共働きでがんばろう!!と思っていたのに・・。
やっと新婚生活スタートって思っていたのに・・・。
4人でまたまた治療の説明。
抗がん剤を打つこと。その副作用の説明。
抗がん剤の副作用ならいくらおこちゃまの私でも分かる。
髪の毛がなくなる・・・・・。
この3ヶ月結婚の準備でモデルのような毎日を送っていた私にとって、非常につらかったです。

2001 5.16〜 1回目の抗がん剤治療
5月半ば、抗がん剤の治療が始まりました。髪の毛抜けない人もいるということで、抜けないことを期待して、けど抜けるだろうと諦めて望みました。
抗がん剤は5日間朝から夕方まで打ちました。体調の変化はたいしてありませんでした。食欲が4日目だけなくなりましたが次の日は最終日だったのでもう終わるー!といううれしさで復活しました。
2回目の点滴までなかなかでした。なかなかというのは白血球の数が正常値に戻ってこないのでできなかったのです。一度退院して通院で採血の検査してまた2回目できるようになったら戻ってきてください。
ということになって、退院

2001 6.27〜 2回目の抗がん剤治療
2回目の抗がん剤治療は1回目と同じで。気持ち的にはもう、髪の毛もないので、楽でした。2回目を打って、3回目をしましょうかってなった時、お腹に水疱瘡のような物が出来ました。これが日に日に大きくなって、ちくちく痛くなって来ました。ちょうど採血の日だったので先生に言うと、皮膚科で調べてもらうことになりました。ヘルペスでした。
抗がん剤の治療で免疫力が弱まったので出てきたようです。水疱瘡をした人はみんな首の辺りに持っているみたいです。でも、普段は免疫力が高いので出てきません。毎日薬を塗って(背中は塗ってもらって)治して行きました。私は薬を選びましたが、本当は入院で点滴でした。神経痛として残る可能性があるから今から即入院して点滴をしますって言われたけど。髪の毛がなかったので皮膚科に入院するのは嫌でした。それに点滴をしても神経痛は残らないとは言い切れなかったのです。薬だと6割治る、4割は残るって事でした。それが点滴だと7割にあがるだけ、1割の違いでした。この時の私にとっては1割なんて別にたいした違いに感じませんでした。なので、家に帰れる薬のほうを選びました。1日目は痛くて寝れなかったけど、次第に治りました。今では汚いあざとなって残ってます。神経痛はありません。6割に入れたようです。

2001 8.29〜9.14 3回目の抗がん剤治療
先生に3回目お願いしますってどうしても言う気にならなかった。また副作用で違う病気が出たらって考えてしまったから。今回はまだ治ったからいいけど。親やら彼氏君らと一緒に悩む。断ろうって決めて彼氏君と一緒に病院に行ったけど先生に3回目の治療を勧められる。2回で辞めることは勧められないって。今までのデータでは3回でいい結果がでてるから3回して欲しいって。水疱瘡菌はもうでないって説明されて。
もう一度考えてみてくださいっていわれました。彼氏君は3回目させたいみたいでした。親も・・・。1日すごく考えました。3回して再発したら・・・、3回してもっと大変な副作用がでたら・・・。夜悩んで寝れませんでした。夜中彼氏君から電話があってどうしても嫌なら漢方薬とか飲んだらいいと思うよって。
でも私の親は3回目しなさいって。どうしたらいいのか分からなかったけど、彼氏君と一緒にいたいっていう理由で3回目受けました。単純だけど一番大事な想いがこれでしたから。3回目ももう看護婦さんとも顔なじみだし、5日間で帰るので荷物も少なめでがんばりました。でも3回目は嘔吐しました。はじめてだったので驚きました。看護婦さん呼んで後始末してもらって。ごめんねって思っても動くと気持ち悪い。
落ち着いた頃に看護婦さんから同じ病気の子を紹介してもらいました。3こ下で20歳のかわいい子でした。
いろんなこと話しました。20歳の強さも感じました。子供が産めなくなっても別にいいって思ってるって聞いたとき思いました。結婚した私は子供産めなくなることでどれほど嫌な思いがまっているか簡単に想像できましたから。髪もそのこは剃っていました。抜けるのがめんどくさいからって、明るく答えてくれたときすごいと思いました。この子はゆうりちゃんと言います。ゆうりちゃんとしゃべっていろんな事前向きに考えれるようになりました。もっと早く出会いたかったです。