「天国のお父さん」

宮城県 O次郎さん
[O次郎さんのHP]
―いのちのバトンタッチを受け継いで
            今自分の番を生きている―

2001年11月1日、私の父は他界しました。

***ガン告知***
父が体調不良を訴えたには 2001年年明けの1月2日のことでした。 おそらく、それまで多少の自覚症状があったに違いありません。しかし その日の腹痛はあまりにもひどく、病院嫌いのさすがの父も 翌日には自宅から近くの当番医へと行きました。 正月休み明けから検査を受けることになり、痛み止めの座薬だけを頼りに検査の日を待ちました。
たくさんの辛い検査の結果・・・食道ガンと診断されたには 既に5月のことでした。
お医者さんは 父本人へガンであることを告知しました。そのすぐあとに 留守番をしている私へ 父からの電話。
「・・・食道ガン、大動脈房リンパ節に転移している。手術も出来ない・放射線治療も出来ない場所への転移だから、化学療法のみで治療することになった。とにかく今家に帰る・・・」

私達家族は 抗がん剤の副作用の残酷さを知っていました。18年前に姉をガンで亡くしていたからです。まだ21歳だった姉は抗がん剤治療の副作用で 殆んど髪が抜け・顔が浮腫み・体は痩せ・全身ケイレンまで…
そして、そんな最愛の娘の姿を見届けた父。  そんな父が私達に言った言葉〜『祐子の病気を知らされた時よりは気が楽だ』・・・
***闘病生活***
これまで病院とは無関係だった父の闘病生活が始まりました。
父は会社を経営しておりましたので、点滴をしたまま携帯電話片手に とにかく仕事のことが頭から離れない様子でした。気の短い父は時に「こんなことをしている場合でない、点滴をしたまま一時間だけ会社に行く」と、看護婦さんを困らせたりもしました。
治療と検査をしながら何度も入退院を繰り返し、出来る限り会社へ出勤しました。
夏…お盆には自分で車を運転してお墓参りをした父、あの時どんなことを考えていたんだろう・・・ お盆休みに親戚がお見舞いに来ると『生きてるうちに会いに来たんだろうナ〜』なんて陰で言いながら 病気の一部始終を話して聞かせていました。

夏の終わりごろ・・・朝夕秋を感じる頃には、気力だけで前向きに生きようとしていているように見えました。
次第に腰の痛みがひどくなり 麻薬を使うようになってからは ほとんど口を利かなくなり、それが幻覚症状なのか!?どんな治療も放棄しているように見えました。からだを横向きに 背中を丸くしてベッドに横たわる父、そのそばで 私と母は毎日何も喋らずに付き添いました。

***忘れられない日、その日は突然やってきました***
亡くなる日の朝、その日に見た父の顔は昨日とは別人でした。あんなに大きな優しい目で見つめられたのは久しぶりでした。病室のカーテンなんて閉めていないのに『開けろ開けろ』と手振り、寝返りをするために『体を起こして』・・・これが最後の言葉でした。
最後の最後まで 私には一度も弱音を吐かなかった父、あまりにも苦しそうな息遣いに思わず「苦しい?」と聞くと 父は首を横に振りました。「大丈夫?」と聞くと コクンと何度何度もうなずきました。酸素吸入器をも嫌がる父に優しく言い聞かせながら 一生懸命手でおさえてあげました。

元気だった頃『自分の家で死にたいな〜。無理でも最後は 孫達に手を握られながら・・・』なんて言っていた父。最後は 家族みんなで手を握って見送ることが出来ました。 私は心の中で『いつか 自分の役目を果たしたら、必ず私も逝くから 寂しがらずに待ってて・・・』そう言いました。 

あの時初めて見た父の涙 私は一生忘れません・・・・・

 てれくさくて 元気だった頃なかなか言えなかった、《ありがとう お父さん》・・・