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「”がん”さん、ありがとう」

名古屋市 伊藤 勇さん
癌を明るく生きる


余命3ヶ月、長くて1年と宣告されてから5年がたちました。
現在もガンは進行していて転移もしています。
お医者さんも絶対に治らないと太鼓判?を押してくれました。

でも私は楽しく暮らしています。
それこそ、ガンにならなかったら、こんな楽しい人生にならなかったと思います。

ガンさん、ありがとう。今、そんな気持ちです。

1〉ガン宣告を受けた日
あれは5年前の10月、すごく天気のよい日でした。がんセンターで2週間前に受けた精密検査の結果を聞きに行きました。

その前からすでに先生からガンかもしれないと聞かされていましたけれど、検査してステージがAかBなら治るし、手術してとればいいから、と言われていて、私もその気になっていました。それで、検査結果を聞きに行きましたら先生が「伊藤さん、入院しなくていいから」と言うんです。

それを聞いて私すごくうれしくってね。よかった! ガンじゃなくてと大喜びしました。そしたら、「伊藤さん、勘違いしてないか? 入院しなくてもいいと言ったのは、検査の結果、腰にも、骨髄にも、肝臓にも転移しているから、手術も抗がん剤も放射線も意味がないということなんです」といわれたのです。先生は、「治る薬はないけれど、一時押さえる薬があります。女性ホルモンを打てば半年か一年は持つでしょうし、効かなければあと三ヶ月くらいになるかもしれません」と話をしてくれました。

もうすごい大ショック、頭の中が真っ白になりました。困った、どうしようかと思いましたね。次の患者さんも待っているので、これからのことも相談できずに病院をでました。

頭の中は大混乱でした。ちょうどその日は、会社で幹部会が予定されていまして、私がガンセンターに行っているということを幹部社員は知っていました。そんな中で社長の私が頭真っ白で会社に帰ったら困るわけです。

とにかく頭を冷やさないといけないと思って、病院の近くにあった公園にいき、ベンチに寝転びました。暖かい日でした。空を眺めていたら、名古屋空港に着陸する飛行機が何機も通っていくのです。アメリカやヨーロッパからの長旅を終えた飛行機が車輪をだしてね、着陸体制に入っているのが見えるんです。

そこで自分が感じたことは、あと2、3分で名古屋空港、自分の人生もながいことやってきたけれど、まあ、同じだなあと。早かったら3ヶ月、いよいよ終わりかあと思ったら涙がぼろぼろでてきました。新聞で顔をかくしました。

〈2〉3ヶ月も時間がある
あと3ヶ月という宣告を受けて病院をでてから、公園のベンチで寝転がって、ショックで真っ白になった頭を冷やしていました。
ひょろっと横向くと、おばあちゃんがベビーカーで赤ちゃんを子守りしていました。
上向くと、カラスやハトがアベックで仲良く鳴きながら飛んでいたんですね。
そこでふと思ったことがありました。生き物は子孫を残してどんなものでも死んでいくということなんです。地球上に生あるものはすべて。地球が始まって以来それが延々と続いているんだなあ、ということを思いました。

そしたら、長い歴史からいったら死ぬっていったら当たり前なんだ。きんさんぎんさんみたいに107歳まで生きておられる人もいるし、20歳で交通事故で死ぬ人もいる。いろいろなんだ、と思えました。ベビーカーを押していたおばちゃんは死んで、お孫さんがまた子どもを産んでと、地球がある間循環しているんですね。

ですから、お医者さんが、あんたは3ヶ月か1年だと言われたことは、これはそのまま素直に観念して受け入れるほかないな、と思ったのです。

だって、私のガンは切れないというし、このガンは外からきてひっついたものでもないし、自分の体の中の細胞が変化したわけですから。

「ガンさん、これ以上あばれんといてや。おとなししとってや。冷凍庫の中でも入ってゆっくるねむっとってや」と言い聞かせました。

脳梗塞や心臓やといったらあっという間に死んじゃうけれど、そのこと思ったら、3ヶ月も1年も時間があるということは、ありがたいことだと思います。

ガンだから意識も不明にならずに、身辺整理も充分にできるのです。その時間を与えてもらったのです。こりゃ喜ばないとあかんと思いました。

3〉会社を整理する
「私には3ヶ月の時間がある」と公園のベンチで気づいたら、3ヶ月の間にやらなあかんことがあると、それからすぐに会社へ帰りました。

ちょうど幹部会がある日でしたから、みんなを集めまして、「どや、自分が生きられるのはあと3ヶ月か1年と先生がいうから、この会社をだれか継ぐことができるか」と訊きました。

しかし、こんな不景気なときにやれないという返事です。3つの事業所を分割してでもどうかとも言いましたが、自信ないと。娘婿たちも呼び寄せて同じことを言いましたが、景気の悪いときに怖い、という返事でした。
うちの会社では、100人の従業員と、専属の下請けさんまでいれると4〜500人の人が生活しとるわけですね。だから、おれガンになったから知らんでと言って無責任なことはできません。
一番いい方法は、従業員下請けさんひっくるめて買ってもらうのがいいんじゃないかと思いまして、さっそく思い当たるところに話を持って回りました。

そしたら、二週間くらいのうちに譲ってもらってもいいです、という話がありました。この社長さんなら間違いない、と思いましてその人に買ってもらいました。

2ヶ月のうちにはすべて売却がおわり、そのお金で退職金から給料 から借金から税金から全部払ってゼロにしました。

私が25歳で起こして40年間つくってきた会社でした。最後がきれいにしまつできたということで肩の荷が軽くなり、これで社会的な責任も果たせたと思いました。

4〉身辺整理をする
会社を売却して、公的な整理をつけ終わったら2ヶ月たちました。
一番短い宣告日の日まであと1ヶ月です。
個人的な整理をしなくてはいけません。

うちの家内は五年前にパーキンソン病というので亡くなっています。だから毎月、月業といって浄土真宗のお坊さんに家に来てもらっています。その日お坊さんに、「お医者さんにあと3ヶ月か1年といわれてます。そのときにはご住職、またお願いしますわ」と言いました。

そしたら、「そらえらいこっちゃ、そんなら先に戒名つくったらどうや」と言われたのです。たいてい戒名というのは死んでからつけるから、自分ではどんな戒名がついたのか知らないでいますね。でも、生きているうちに知っとくのもいいな、と思いまして、たのみましたら、一週間くらいしてできてきました。

戒名ができたら、写真がないなあと思いましてね。写真はいっぱいあるけれど、最期に使うのはおめかししてと思って、床屋へいってから写真館へ行きました。

それから、お墓準備の前には、葬式をしなくてはいけません。葬祭業者に電話したんです。「ちょっと見積もりしてほしいんですわ」って。業者は「はいはい」っていってね、30分もたたないうちに飛んできました。

玄関を入ってきた業者が「仏様はどこですか?」って言うんです。「わたしなんですわ」と言った目をくりくりっとさせましたけど、こういうふうに言われているので見積もりしてほしいんですわ、と言ったらしてくれました。

でも、葬儀の日にちは予約しませんでした。結婚式は予約しますけど、葬儀を予約したら自殺の日になっちゃいますね。

お墓は作りませんでした。二人の娘は長男のところに行ってますので、墓守りしていく人がいずれいなくなります。だから京都の東本願寺の納骨堂に収めてもらって、永代経を上げてもらうことにしました。

あとは、忌中の手紙の発送先などの一覧表につくりました。遺産相続もきちんとしておかないとと思いまして、娘と婿を両方呼んで、これでどうや、といって決めました。

そいういう私の身辺整理に1ヶ月。公的にも私的にも整理したらね、ほーんとに軽くなりました。

今までストレスとか地位だとかお金のことだとか、そういう我執をみんな放しちゃったらほんとに楽になりました。

5〉ボランティア活動
会社を売却して、公的な整理をつけ終わったら2ヶ月たちました。身辺整理も済み、すべてなくなってから、人がいろんなところに誘ってくれました。宗教とかガン患者の会とかです。

ガン患者の会といっても暗くなくてみんな明るくて元気いいのです。その会でハワイに行くという話があって、私の人生は賞味期限の切れた人生ですからね、おまけの人生になったんや、思いっきり行ってこようかと、行ってみました。

行ってみたらね、元気になるんですね。楽しいことやっていると自己免疫が高まるのか、痛み止めもなんにも飲まなくてもどうもないんです。

そのあと名古屋で活動している「みどりの会」という健康を考える会が開催した講座に参加しました。この会は、50代の主婦4人がやっていまして、そのときの講師は、佐藤秀一さんという、肺がんで4回手術をして3分の1肺を取っている人でした。

佐藤さんはすごく明るい人でね、いっしょに講演した奥さんも一目見たのですが、ああ、この夫婦は仲がいいのだな、と思いました。告知を受けたがんを夫婦一体で取り組んでいるのが明るく伝わってきました。講師の佐藤秀一さんは、三重県にあるヤマギシズム社会実顕地(ヤマギシの村と呼ばれています)というところに暮らしている人で、佐藤さんのお誘いを受けてヤマギシの村を訪問したりしました。

そのうち、佐藤秀一さんから、自分も受けているというヤマギシの講習会(正式名 ヤマギシズム特別講習研鑽会)を受けてみないか、と勧められ参加しました。それは7泊8日の合宿講習会でね、先生はいなくて、みんなで生き方を考えようという講習会で、ものの考え方を明るく積極的にして生きようということを学びました。98年の5月に受けました。舞い上がるくらい楽しかったですね。

講習会では、腹の皮がやぶれるくらい、破れはしなかったですけど、笑いました。たのしくてね、結果的に自分の生き方、しあわせとはこういうもんや、ということが理解できました。赤ちゃんから死ぬまで人間はしあわせなのが当たり前だと。幸せがあたりまえというのに賛同しましたね。

こうして、だんだんだんだんと楽しくなると、体も、肝臓のガンは直径7センチくらいになっていて、心臓の方は中期の心臓弁膜症、脳梗塞の方は右半身が一過性で不随になっていて、血圧も200くらいでしたが、それが治っちゃって、不思議なんです。

 そのあとは、おまけの人生をボランティア活動に徹しようやとおもいまして、全国の健康を考えようという人たちに会って体験談を話すようになったのです。北海道から九州まで、もう240ヶ所くらい行かせてもらいました。

おまけおまけおまけの人生です。今年になってからも九州関東回らせてもらって体験談を話していますが、ぜんぜん疲れません。

6〉明るく生きるということ
「明るく生きる」。これは人生についても言えると思います。
ガンになったら、毎日もう死ぬかもしれん、どうなるのだろうかと思っていたら、心の方が参ってしまいます。そうすると自己免疫力が落ちます。筋肉は緊張するし、頭の中はそのことでいっぱい。ますます体の方も悪くなっちゃうのですね。

ガンと思いたくない、考えたくない、逃げたい、という思いばかりが大きくなってしまうと、それ以外のことはどんないいことを聞いても自分の中に入ってきません。

「病気」と「病身」とを分けて考えたらどうでしょうか。

たとえば私の場合、「病身」という部分は、骨に転移している、前立腺のガンがある、そいつが3ヶ月たら1年で終わりになる、肝臓に7センチのガンがある、ということだけです。

ところが、そういうものが自分の体の中にあるということで、頭の中がいっぱいになっちゃって、死にたくない、もうまもなく死ぬかもしれない、痛みがでてくるかもしれない、そしたらどうしようと、ほかのことが考えられないくらいになり、夜も眠れない、睡眠薬を飲まないと寝れない、安定剤がいる、目の前においしいふぐの刺身があっても食べる気がしない…、これが「病気」の方ですね。

「気の病」と書くでしょう。これが非常に大きい部分を占めますね。盲腸だったらそんなことにならないでしょう。「ああ、1週間すれば治るんや」と、これだけです。でも命にかかわる病気になると、「思い」「病気」の方が5倍も10倍も大きくなるのです。

観念するということは素直にそのまま見るということです。ガンはガンです。

一日一日を大切に思いっきり生きていく。忘れることは忘れ、インプットすることはする。

どんなときでも明るく生きるのは大事ですよね。ガンになったときだけのことじゃないですよ。むつかしいことないんです。案外簡単なことなんです。そのことをヤマギシズム特別講習研鑽会で自分の中に確認することができました。

 私は今がんで末期です。いつ死ぬかわからんです。

だから先生の言われるようにきちっと検査を受けています。それで、まず今月は大丈夫やなと。まあ来月は海外旅行もなんとかいけそうだと。

そのあとはわからない。

いつモルヒネがないとやれないようになるかもしれない。モルヒネを打つようになったら入院するだけ。入院して神経ブロックを遮断すれば死ぬのは早いですよね。でもそれならそれでいい。それはそうなったとき。長いことみなさんありがとうございました、バイバイというような、そんな気持ちで毎日いますから、ぜんぜん怖くもなんともありません。

生きがいということでしたら、私の場合はおまけの人生や、すこしでもお返しする時期やとボランティアをやっています。趣味をもって生きがいにするとかなんでもあると思うんです。運動することも。近くなら自転車にのるとか散歩するとかあります。

心の問題は大きいですね。あれやってくれない、これやってくれない、くれない病の人、いつもぐちぐち言っている愚痴愚痴病の人、そういうマイナス行動の人は自己免疫が落ちます。また、夫婦がなかよくないといけません。家庭円満でないとね。

おまけおまけおまけの人生です。
毎日を明るく思いっきり生きる、それだけです。
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